小説を書く人の特徴と精神について

長年の疑問でした、『書く人』と『書かない人』の違いはなんなんだろうっていうのが。
フェイスブックに長蛇の文章を書いていた私。それは場違いで辞めることに繋がりましたが、ほかの人たちはなぜ、『文章を書かずにいられるんだろうか』っていうことが本当に疑問でした。
これは能力の問題ともいえますが、なにかあるんじゃないか――とも感じます。
ことの発端はこうでした。
私が精神科医の先生に「人って小説が書けないですよね?」と聞いたことが始まりでした。
先生は「そもそも正常な人は小説を書こうと思わない。」と言い出しました。
エッ。書こうと思わない?
これがまず、私の『小説を書く人』の特徴探しでした。
そもそも、正常な人は小説を書こうと思わないし、読もうと思わない。正常であれば、小説は読まないし、物語の中に引きこもろうとしない――。
さて、この記事を読んでいるあなたはきっと『自分がなぜ書くのか?』がよくわからない人だと思います。
その問題解決の手助けになればいいなと思います。
『書かない人』が普通の人?
精神科医の先生は、そういいました。
普通は小説を書かないのだそうです。しかし、普通ではないと小説を書くのだそうです。
しかしだからといって『書く人』が異常というわけではありません。
いろんな人がいます。そのなかで書く人がいて、書かない人がいて、どちらもいるのが普通です。また、書く能力そのものは論理性が高い能力ですから、一般よりも読み書きが多い人は平均よりもIQ高い傾向があるんじゃないかなあとも思っています。
『書く人』が一般的ではないのは確かですが、それが『問題である』ことはありません。
それを踏まえてこの記事を読んでいただきたいです。
前座として、ひとつの『書く』カタチ
心に強いフラストレーションを抱えているケースです。
普段は全く書かないのに、書き込みがあると思ってのぞき込んでみたら、すごい量の文章――。内容を読んでみるとどんよりとした内容で、「ああ、心が疲れているんだなあ」と感じたことがありました。
書くということは発散のひとつになります。
つまり、疲れてくると余計に書きたくなります。フラストレーションがたまると女性はよくおしゃべりで発散するようになりますが、それを文章化している状態になるのですね。
つまり、書く人は疲れ切っていて文章をガッツリ書いているケースがあります。
しかし、聞きたいのはそんなことではないですよね――。
小説を書く人の子供時代に愛着問題の特徴がある
創造性というものの根本にあるのは愛着問題と言われています。
つまり、小説を書く人は、愛着問題を抱えている特徴がうかがえます。
母子関係の愛着(親子の依存状態)がはぐくまれなかった場合、多くの人が愛着問題を抱えてしまい、自分の心を守るバリケートを失い、人を攻撃しながら自分を守る――といった精神的な虚弱状態になってしまいます。
そうしたとき、自分を守ってくれるのは空想の世界になってきます。自分の殻に閉じこもるようなものです。
小説を書く人たちは、子供のころ、マンガが好きだったり、小説が好きだったりした記憶があるはずです。(これもまた特徴のひとつですね。)
そうした読書の世界にどっぷりつかる原因となるのが、『現実世界しんどい・・・・・・』っていう心の疲労の現れだったりします。
小説を書くに至らなくても、そもそも物語を堪能しているのは、心が現実世界がしんどくて物語のなかへ引きこもっていただけなのです。
それを引き起こしているのが、愛着問題です。
母子間の愛着がしっかりと定着していないことにより、『自分は愛されている』という自己愛(というのもおかしいですが。)が持ちにくいです。
何があっても自分は大丈夫という感覚、自分は両親に裏切られない、自分は愛されている。という人としての生きていく根っこになる考え方が根付きません。
それにより、社会が怖い状態になってしまっています。
真綿にくるまれて、社会との距離感を一定に取っているのが普通なのですが、距離が取れません。薄っぺらいサランラップ程度でしか社会との距離が保てません。
よって、社会との距離感がうまくつかめません。他人との適切な距離がむずかしいです。
そして、引きこもるんです。
いざ、物語の世界へと――。
こうして生まれてくるのが、小説家さんたち、『書く人』たちです。
けっきょく、逃げ場所が物語や空想の世界でしかなかったということでもありますね。
特徴1 愛着問題を抱えている
特徴2 子供時代にマンガや小説が好きだった
特徴3 社会との折り合いがつけるのが苦手
作家と言えば分裂気質といいますが、書く人も分裂気質?
代表的な分裂気質と言えば、三島由紀夫や夏目漱石などでしょうか。
分裂気質という性質を持っており、わかりやすい事例はこのふたりかと思います。
どちらも幼少期に難を抱えた育ち方をしているため、母子間の愛着問題を抱えていますし、けっきょく、それが引き金となり物語を書く能力や作家となる気質を磨いていくことになります。
それとはまた別に、分裂気質とは、空想家・小説家、演出家等、想像力を使った仕事をする方に多いです。
ぼーっとしている時間、ずーっと考え事をしていて、言葉少なげかもしれません。
また、分裂気質に拍車がかかっていきますと、統合失調症(精神分裂症)になります。
中原中也は途中で統合失調症にかかっていますが、彼もまた、分裂気質だったのでしょう。母親に対して愛情を疑いをかけるような問いかけをしているエピソードが残っていますし、愛着問題も抱えています。
私の友人が小説家ですが、『昔は分裂気質じゃないと小説家になれなかったけど、今は分裂気質じゃなくても作家になれるね』と言っていました。いまだによくわかりませんが、彼は分裂気質ですし、時折ぼーっとしています。頭の中で欲考え事をしているみたいですね。
ほかにも作家として分裂気質が光ったのは、アーネスト・ヘミングウェイや同時期に活躍したウィリアム・フォークナーでしょうか。
つまり、作家には分裂気質の人がすごく多いです。
また、その分裂気質ゆえに精神を壊してしまいがちです。
自己のなかに自分以外の人格を有し、それを人格として成り立たせていく作業は、精神が壊れてしまいそうな気分になります。書き終わったらしばらく寝込むと思います。
そうして出来上がった作品は、『人』がしっかりと書かれていますが、作家は疲弊しています。分裂させればさせるほど、書けば書くほど、自分の心を削っているようなものだと感じました。
特徴4 分裂気質
特徴5 精神的に弱い
ハイパーグラフィアはいっぱい書く人のことを指す
作家さんのなかで、ハイパーグラフィアと呼ばれる人がいます。
書きまくる人です。文字をひたすら書き続けることが全く苦ではありません。
実は私もハイパーグラフィアですから、どんだけ書こうとも言葉が次から次へとでてくるという難儀な脳みそをしています。
ですから日記を書きますし、読んだ本をなぜかわかりやすく書き起こしたいという衝動に駆られたりします。
ハイパーグラフィアな人は『同世代よりも大量な文章を書く』傾向があります。SNSなどでほかの人よりも文章を多く書いているなあと感じている場合は、ハイパーグラフィアの気質を持っています。
ほかにも『書いている文章に意味があると思っている、当人的には哲学的であったり、道徳的であると踏んでいる』『書いていられないから書く』『文章的に優れた文章を書いている必要世はない』といった条件があります。
また、グラフォマニアというものもあります。
読んでもらいたいという、書く+人と繋がる欲求を持っている人たちのことです。
ハイパーグラフィアは『ただ書きたい』それだけですね。
グラフォマニアには、根本に愛着問題を抱えたことによる欲求を書くことにより発散し、人に読んでもらうことにより自分を認められた気分になるといったものでしょうか。
しかし、もっぱらこれで安定感を持つことは出来ません。次に来るのは批判ありきの評価です。
これで作家はメンタルをガンガンやられてしまいがちです。
特徴6 ハイパーグラフィアの可能性?
特徴7 グラフォマニアの可能性
なぜ書くのか?
特徴1 愛着問題を抱えている
特徴2 子供時代にマンガや小説が好きだった
特徴3 社会との折り合いがつけるのが苦手
特徴4 分裂気質
特徴5 精神的に弱い
特徴6 ハイパーグラフィアの可能性?
特徴7 グラフォマニアの可能性
小説を書く人はこのような傾向がある可能性があります。
これを踏まえて、『なぜ小説を書くのか?』『なぜ書き続けているのか?』『なぜ書かずにはいられないのか?』について考えてみようと思います。
作家はなぜ書くのでしょうか。
なぜ『書かねばならない』といったような衝動を抱えているのでしょうか。
根本に、ハイパーグラフィア的な書かねば気が済まないと言った気質を持っている人も多いかと思います。
創造性を持ったお仕事をする、書く仕事をする人は、もともと『人に認められたい』といった愛着問題を抱えている可能性があります。
つまり『両親に認められたい』のです。
なにを?
自分を認めてもらいたいんです。
しかし、認めてもらっても満足は早々すぐにできません。根本に植え付けられた芽はにょきにょきと育ってしまい、おのずと書く人になって作家となっていくのですから、その問題を解消することは容易ではありません。
この分裂気質や愛着問題を抱えた過去の純文学作家は多くいらっしゃいます。
精神的に難を抱えながら、みんな頑張って書いていました。
それは『生きるために』なのだと思います。
最終的には自殺してしまった芥川龍之介や太宰治などがいますが、自殺に追い込まれるほど彼らは生きたがっていたのだと思います。
『なぜ自分は書くのだろうか』という問いかけをして、答えを探している人がいるかもしれません。
私はずいぶんと長く疑問でした。自分はなぜ、こんなにも書くんだろうか、と。
書きたくて、書きたくて、書きたくてたまりません。
それはどこかで泣きたくてたまらないようなものなのです。
私は、この記事に書いたように、愛着問題を抱えていますし、分裂気質を持っています。やはり、ぽーっとしているところがあるのです。ずーっと考え事をしていますし、頭のなかの会話が鳴りやむことはほとんどありません。書きまくっている姿はハイパーグラフィア気質が全開です。
私は小説や文章を多く書きますし、多くの本を読みます。
それは私にとって『生きるための手段』なのだと思います。
小説を書く人も同じく『生きるための手段』として作家でいようとしているのだと思います。
創造は心を癒しますからね・・・・・・。