私のギフテッドの特徴と人生観


コラムかエッセイ 健康

若い世代の人も読むと思いますし、『ギフテッド』の知性を持つお子さんのご両親などもご興味を持つかな? と思いますので、なるべくわかりやすく書こうと思いますが、もしかしたら、専門的な用語などを書いてしまうかもしれません。

なるべく、中略せずに説明的に書いていこうと思いますが、ギフテッド特有の『理由の説明はすごく難しい』ことなどもあるかもしれません。その辺は、愛嬌のひとつとして取ってほしいなあと思います。

また、このページでは『わたし』という個人のアイデンティティを強く持った『ギフテッド』の話であり、すべてのギフテッドに適応されるわけでもありません。

私の経験、ひとつのケースをここに記しておきます。

ギフテッドってなに?

ギフテッドは天から与えられた才能

まず、ギフテッドってなに? という単純的なお話から始めようと思います。

このページに来たっていうことはもう時すでに『ギフテッド』でぐーぐるさんに聞いている可能性が高いのですが、一応簡易的にご説明してから、私自身の生きてきた経緯について書いてみようかな、どう思っているのかなどを書こうと思います。

けっこう、Wikipediaさんが分かりやすくギフテッドについては書いてくれています。

平たくしますと、生まれたとき(先天的)から平均的な知能を持っているっていうことです。

これを『天から与えられたギフト』という形になり、ギフテッドと呼ばれているのです。

このなかでも『ギフテッド』と『タレンテッド』枠組みがありますが、ギフテッドは左脳的(論理性)でタレンテッドは右脳的(芸術性)が特化していると言われています。

『天才』っていうワードは、未知なる領域の才能や理屈で処理がつかないことをさしていると思いますが、『ギフテッド』は数字であらわすことができます。

発達障害であるかどうかを調べるテストがあるのですが、その数値にブレがなく(発達障害は上下しちゃって、どこか欠落したり、どこか突飛だったりします。)IQが高いことにより判明します。

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ギフテッドが判明した経緯

もともと、自分自身が変人だっていうことは知っていました。

同い年の人とは会話は噛み合わないので、それは相手に合わせて会話をしていました。

好きなことと言えば、占いの技術の基礎学力をもとに人を分析にかけて『どのような傾向がこれにはある』っていう発展的なことが好きでした。予想したり考察することが好きだったんです。

趣味だった夢日記も疲れていなければ記憶が出来ているのもあり、記録していました。その記憶をもとに本サイトは立ち上げられ、当たってものについて記載し続けている――という状態です。

文学も大好きで、若いころは純文学、成人しますと、大衆小説から新書の類に流れながら専門書の類を読み漁っていました。できればすごく楽しかっただろうなあっていうのは、英語です。論文が読める英語が出来たらもっと人生は豊かだと思えました。

そんななか、確実にギフテッド特有の体調不良がありました。高IQによる免疫力の低さです。ストレスゲージが常に貯まりやすいところがあったらしく、根っこから改善してやろう! という考え方から中医学の先生に頼りました。

その先生は心理学や脳科学などにも知の深い、今でも勉強を続けている漢方薬の先生でした。中医学や東洋医学にちょうど興味があったっていうのもあり、思想の基礎を抑えて「これってすごい技術なんじゃないか?」と思っていました。

私の体調不良の話を進めていく最中、先生に「夢の記憶ができる」という話をしたところ、「え?」といった不思議そうな反応をされ、次に「夢日記をつけている」ということに、すごく感心を寄せられました。

つまり、夢の記憶ができるほどの記憶力はIQが高い証拠と教えてもらったのです。いわゆる先生は私がギフテッドだと気づいたんです。

思い返せばギフテッドと教えてくれていた人もいた

元カレがギフテッド、いわゆる天才でした。

数学的なものが特化している家系で、過去に偉人がいる・・・・・・みたいなすごい家系の人でした。そのなか、彼は日本のIT業界に限って有名人かなと思います。私もIT好きですから、すぐに仲良くなりました。意思の疎通がラクチンだったんです。

しかし、彼はギフテッドである反面、人付き合いがすこぶるダメでした。空間認識能力も低いらしく、想像力の部分では私のほうが勝っていたような気もしました。恋愛っていうハードルをふたりで超えていき、結婚するにはすごく難しい問題だったと思います。

その彼が「あなたは天才型だよね。思考がすごく柔らかい。」と言っていました。

当時二十八歳。自由奔放に生きていた私にとって、自分が天才だと考えたこともなかったです。思考がやわらかいとは言っても、そもそもその人こそが天才だったので「天才に天才だねとか言われても、あんまり嬉しくない。」と返事をしました。

家に帰ってから母に「天才って凡人が天才に見えるのかな?」とかぼやくほどには自分の能力についてはまるで理解を示していませんでした。

自分に興味が強いタイプだとは思っていましたが、彼のほうが一回りほど年齢が上だったのもあってか、彼の言わんとすることを理解するには難しかったです。

つまり、ギフテッドだということを教えてくれていた人もしっかりいました。

ギフテッドというワードは知っていた

やっぱりバカだなと思うのは『ギフト』という天才の概念は知っていたことでした。

何かで読んだり見聞きしたことに興味が持てれば、ほとんど覚えている――っていう知識バンクのなかに『ギフト』とは『天から与えられた才能』というワードはちゃんと入っていました。

それを掘り下げた書物を手に取ったことがなく、このワードだけが頭の中にあったんです。

そして、このワードを教えてくれた人は、上記の人(元カレ)ではないギフテッドの人でした。天才肌のなにやっても天下とっちゃうみたいな意味わかんない人ですが、私の『先生』です。この先生はこの後よく頻発して出てきますから、覚えておいてほしいです。

この先生はひとつ本読めばある程度(本質)を理解して、応用をきかすことができるっていう謎のハイスペック。とりあえず理解力はずば抜けて高いっていう人でした。先生の家系にもギフテッド家系みたいな感じです。みんなハイスペックです。意味わかんないです。

その先生は私に『こんな才能いらないよ、しんどい』と言っていました。そんな話をしたとき、ギフトの話をしてくれていました。それを記憶していました。先生が『ギフテッド』という認識はあったのですが、先生と比べて味噌っかすの私。自分がギフテッドの自覚が全く持てませんでした。

先生も「あなたはバカよ?」と私に言いますから、そんなこと思いもよりません。しかし、今ならばわかる。ギフテッドにもピンからキリまでいて、先生はピンであって私はキリなのである・・・・・・!

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ギフテッドとしての能力は何があるの?

ギフテッドの能力として過ぎたる活発さを持つ脳傾向があります。

普通の人よりも脳がよく回ると言えばいいんでしょうか。つまり、これが才能に繋がっていきます。過活発なので、ギフテッドの人は疲れやすいところがあると思いますし、糖分が切れる速度も速いと思います。私は常に脳疲労起こしている状態ですから、夕方になるとフラフラですね。

そのまま昼寝しちゃいます。笑

たとえば、過ぎたる集中です。この集中力を持っている人がギフテッドには多いです。私の周囲にいるギフテッドも集中力がすさまじいです。好きなことはとくに熱中しやすいです。

ドンブロフスキさんは、過度に働いてしまいやすい『精神運動性』『知覚性』『想像性』『知性』『感情性』という5つのOE(過度激動)種類にわけて考えたようです。

私はこの5つの傾向は少なからずそれぞれ持っています。

精神運動性

一般的に「落ち着きがなく頭の回転が速い」印象を与えるもので、身体的多動だけでなく、話すスピードが速い、話が一気に飛躍する、頭が働いて眠れない、という精神的多動を示す。

Wikipedia

話が飛躍しやすいので同等程度のIQがないと理解が出来ない状態になっていますから、普通の人からすれば確実に「なにいってるかわからない」となり、「なんで?」とよく聞かれます。

でもそれの理由を説明するのがとても苦痛でたまりませんから、わからない人にはそういった話をしなくなります。相手もつまんないでしょうし。でも、ギフテッドが同士で会話するとマシンガントーク状態になります。その状態が私たちの『普通』なのですが、普通の人がきいたら内容はよくわからない状態みたいです?

理由はふたつかな、と。

ひとつは、『重要でない部分は省かれて認識する』ことが可能だからです。会話のなかで『すべてを理解していなくても会話はつつがなく進むこと』ってあるんです。一定数の知能があれば、どれが重要でどんな反応をすればいいのかがわかってきます。『会話すべてを理解する必要性』なんてないんです。

いわゆる、会話の温度たるもの(会話の本質)を理解しているっていうことでしょうか。

もうひとつは、知識量が膨大な人が多いです。それから繋がっていないものを繋げていく能力もある人が多いですから、その連結力によって相手がいわんとすることを理解する、なんとなしにでも雰囲気を掴むことが可能です。

ですから、まったく違う分野の話でも面白おかしくとらえて「わからないからつまらない」と思うことはあんまりないんじゃないかな? どう思う、老成したギフテッドたちよ?

よって、周囲からは『頭の回転がすごく早い』という認識を持たれます

普通の人が話す方法の1から順番にすべて10まで話していくことに対して、人ってゆっくりなんだなーって思っています。でも、そういう脳の人なんだから、すべてを話し終わるまでちゃんと待っています。やっぱり話のコシをおってしまったり、先が見えていてわかっていたとしても、私たちのペースがあるように普通の人たちにとっても個々のペースってあるんですよね。それをちゃんと尊重しないといけないなっていう部分で『人に合わせよう』という気持ちではありますが、本当、ゆっくりですよね。その間、私は無になっています。全部しっかり聞いていると疲れちゃいますから。無ぐらいで普通の人と同じぐらいの感覚の理解にいたれます。

夜の寝つきはすごく悪いです、寝れないです。考え事を始めると余計に眠れません。そういうときは寝ることは諦めます。あきらめて時間つぶしにマンガとか小説を読みます。そのうち朝方眠くなりますから、それを待ちます。

不眠症の人はかなり多いのではないかなと思います。先生は典型的な不眠症です。仕事が多いと先生は二日に一回ぐらいしか寝ていないときがありました。それでも動けちゃうんですけど、無理はたたりますね。

知覚性

「神経質」という言葉で表される性質で、増長した知覚意識を持ち、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。靴下の縫い目や服のラベルが気持ち悪かったり、隣室の時計の時を刻む音が気になって集中できない、などの例がある。鋭い感性は、幼少の頃から絶景に息を呑み、名曲に涙を流すといった美的感覚にも通ずる。

Wikipedia

たぶん? ですが、この傾向が強いギフテッドはアレルギー体質じゃないかな? と思います。私はアレルギーが全くありませんが。爆(こういうところがギフテッドですね、分析と考察すきw)

元カレのギフテッドは子供のころから化学繊維に耐えられなくってかゆくてたまらなかった・・・・・・とか言っていました。ほかにもハイネックが着られないとか、いろいろありました。綿100%を好む生粋の綿男でした。

といっても、鋭い感性はあるらしく? 肝臓の負荷により背中に真っ赤な膨大な湿疹ができ、かいかい~!としているときに、その背中を鏡に映してうっとりしていました。とても美しいと思ってしまったんですね。だから私にとって『病気は美しいものなのかもしれない』という認識があります。変人ですね・・・・・・。これは、次の項目にある『想像性』に分類されるものかもしれません。

もしかしたら――ですが、人がいると苦手っていうのも、この知覚性に分類されるのかな? と思います。

人がいるとその人の一挙一動が気になってたまらない、その人を観察せざるを得ないといいますか。他者がいると集中力がそげますので、そういうときは何もできません。子供が部屋にワチャワチャいますとすごく疲れます。気を付けてあげなくてはなりませんから気を張ります。不審な動きはすぐに気づきます。注意能力があがりすぎて、疲れてしまいます。

気配そのものが苦手で、ひとりの部屋にいると安心するのもこの傾向がでているかなと思います。

想像性

隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られ、「おとぎの国の住人」と揶揄されるほどの強い想像力をもつ。白昼夢を楽しみ、前夜見た夢にも過剰に反応する。いわゆる英語圏で言うところの、”think out of the box”(枠にとらわれない独創的な考え方)あるいは”think different”ができる能力として賞賛される資質である。

Wikipedia

これは桁外れて高くでていると思います。注意力散漫ですし、忘れ物は多かったです。中学生のころから一学年あがるごとに担任に『あなたは自分の世界があるから大丈夫』と言われていました。心中、まったく大丈夫ではありませんでしたが、それが教師にはわかりません。

夢日記は常につけていますし、白昼夢はよく見ています。クスクスとひとりで笑っちゃうこともありますね。とても楽しい時間です。

ひとりにしておけば、メシも食わずに想像のなかに浸っていられます。

こうした才能は創造力に繋がっており、おかげさまで小説が書けますね。

ギフテッド特有の分析能力もありますから、夢は分析されてしまいます。私の周りのギフテッドは全員夢を記憶することが得意です。みなみな分析して夢の傾向などを掴んでいます。

夢の内容から世の理たることを受け取って「なるほどな」と思っていることも多いです。現実の真意は夢に詰まっている気がします。

最近はやっていませんが、誰かを意識下に置いて眠れば、その人の夢を見ることが出来、その人の現実の状況が把握できる――といった無駄な能力があります。けっこう当てていくので、面白いなって思いますが、他人からすればありえない能力ですね。異質です・・・・・・。

隠喩が多くなりすぎるところもあります。普通の会話でなにかを隠して話しますから、ストレートな理解しか出来ない人にとっては「???」っていう感じの本当に変人だと思います。

感情性

感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。より楽しみ、より悲しみ、より腹立ち、より驚き、より恐れ、より共感する。深く感情移入し、愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。ある程度の人生経験を持つギフテッドには、相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り、共感する人もいる。

Wikipedia

ドラえもんが怖くて見れませんでした。のび太君がジャイアンにいじめられるのが嫌でたまりませんでした。それが怖かったです。自分をのび太君に投影してしまい、恐怖に繋がってしまいます。

ネズミーランドも夢の国ではありませんでした、悪魔ばかりいる国ですね。怖いものばかりでした。

夜は「死んだらどうしよう・・・・・・」という恐怖におびえていました。怖くて泣きました。

羞恥心は強くありました。ものすごくシャイです。だから、授業中に手を挙げるとか発表するとか、マジであり得ない・・・・・・です。ただ、ものすごく独創性があったようです、クラスの標語を決めるときなどはアイデア性で勝ち取っていたものがありました。

姉によくオタク(パソコンとかマンガとか小説とか大好きでした)とののしられるたびに、はじけたように泣いていました。すごくショックだったのですが、それを母が守ってくれるわけではありません。「ケンカはやめなさい」と言われましたが、これはケンカではありません。姉のイビリでありイジメです、それに対し、私は言い返すことすらしませんでした。私の持つ生真面目さが言い返せないです、人を侮辱する言葉はつかえなかったんです。

人からすると「なんでそこまでそう人に対して責任を負ったり、同情的になれるのか、後悔ができるのか」という疑問を持たれますが、感受性がすごく豊かですし、ギフテッド特有の深みがあるようです。私からすれば、なんで困っている人に対してそんな無情になれるのかがわかりません。

多くのギフテッドはこの感受性に苦しめられていると思います。解放のされ方は難しいです。みんな、そういうものだと思っていましたが、私からすれば無感情にすら思うことがあります。

自身の感情を押さえつけられることができるようになる理性が育つまでに時間がかかったり、ギフテッドとしてのモデルケースが見つからないとしんどいかもしれません。

幼少のころに感情が激情型だった場合の人も多いと思います。ちなみに私は親にめんどくさいほど激情型だったと言われましたが、当人にとっては『不当だ』というものが親に伝わらないことも多かったですし、私からすると親のほうがめんどくさかったですね。

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知性

一般に広く知られているギフテッドの特徴。知識とロジック、新しい意味を渇望し、疑問を追求し、理論的な分析や真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、頭脳パズル、知覚・論理ゲームを好む。

Wikipedia

ここは高いみたいです? 自分よりもロジックに強い人や知が深い人がいますから、正直そこまで自分がこの分野で強いという認識はありません。しかし、本サイトのように夢分析をしている点、新しい意味を見だそうとしているし、疑問を持ち追及している点はあります。

頭のなかにポケットがあります。そのなかに疑問を持って数分で答えが導かれない場合は、そのポケットにしまいます。その間にその疑問についての本ではない全く違う専門書などを読んでいる最中に「!」とシナプスとシナプスがつながったようにひらめいたように答えが見つかる瞬間があります。

渇望していた答えが見つかったことの興奮を味わいますが、同時に絶望も感じます。

「まだ知らなくてはならないことがある。」

そう思うと、悲しくなってお風呂で泣きます。しんどくてたまらないです。答えが見つかるたびに、嬉しさと絶望が織り交じりって押し寄せてくるんです。

プログラムは書けないタイプなんですが、読めばなんとか処理がつくタイプではあります。だから、そういった軽いロジックは得意なのかもしれません。中学生の頃はウェブページを作るのに、人のサイトのソースを覗いて取り出して、自分のサイトを作っていました。作り終えたら飽きて終わります。それをエンドレス。

疑問を追求することも理論的な分析も、また事実ではなく真実の探求は大好物です。

私が興味を持ったのは占術や歴史、文学、医学(精神)、哲学、宗教学など幅広くありますが、まだまだ深いとは言えません。まあ、まだ三十歳なので未熟なギフテッドだと思います。

頭脳パズルも大好きですし、姪たちに交じってブロックで遊びます。論理的な部分で処理がつくことはすごく好きです。

子供のころから自分でゲームを作ったりしていました。自分の理論があり、その理論に基づいた迷路を作っていました。そういえば、周りの子はそんなことしていませんでしたね。

記憶力や観察力が高い

どこに分類すればいいのかわからなかった記憶力や観察力。

記憶力に優れている人も多いです。また、暗記力に優れている人も多いかなと思いますが、これは興味によりけりなところはあるかなと思います。

また、観察力にも優れているからか、細かいところまで覚えています。

その記憶にさいなまれている人は多いみたいで、私の知り合いのギフテッドは「あのときあーすればよかった!」っていうことで苛まれることがあるようです。私もそういった『後悔』が多くありました。

内省ってやつです。

その後悔が多いときは、夜は眠れませんし、不眠症になります。うつ状態になりやすいですし、動けなくなってしまうこともあります。記憶力が高いことが原因であり、また観察力が高いため、人の様子をよく見ており、その一挙一動を記憶しちゃっているんですね。ため息ひとつにさえ意味があることをギフテッドは理解しており、その意味が理解できればできるほど恐怖で動けなくなることも。

しかし、普通の人ってそこまで記憶力がいいわけではありませんから、後悔損していることも多いと思いますから、私はムシすることにしています。

後悔したとしても「でもそんときはそれしかできなかったんだからしゃーないじゃん」っていう感覚を持つようにしています。

記憶力の高さは観察力の高さによって、ケースを脳内に蓄積し、それを元手に分析をしていたり考察したりしますから、ギフテッドライフには必要な能力だとは思います。

記憶力がいいので、トラウマを抱えやすかったらしく、過去のことでトラウマを抱えている人も多い気がします。

私のギフテッド人生のエピソード

学校のお勉強は普通にできたぐらいでした。『他者にビビりまくってて勉強にまで集中がいかない』のが理由かなと思います。周囲に気を遣い、カメレオンとなって同化することに努力していました。人にとやかく言われることがすこぶる嫌でした。そればかりに気がとられ、ストレスになり、勉強に集中ができません。

それから授業がつまんなかったです、興味がわかなかったですし。

少なくとも私はそうでした。学校や家庭に属しているときは『生きているだけで疲労感』がすごかったです。

気を遣いまくっていますし、周囲に沸き起こっている現状に注意が行き届きすぎて、緊張がすさまじい状態で日々を過ごし続けていました。

けっきょく不登校にまでなりましたが、がんばって高校は卒業しました。それが周囲の望みだったからです。

その後も社会にでていきますが、『ありがとうを言うタイミング』を考えすぎたりと分析過剰に陥り、脳疲労MAXで寝込むことが多かったです。

社会人になってからも読書時間は必ずありました。私の横には必ず本があり、マンガがありました。その世界のなかにいる時間だけは楽だったんです。生きることについて考えなくてすみましたから。自分が生きる責任から逃れることが出来ることがどれだけ気楽になれることだったのかと思います。

よって、マンガや小説はすごい読んでいました。

そんな私のギフテッド的なエピソードを乗せようかなと思います。

ギフテッド遺伝子と家族

多くのギフテッドは家系にギフテッドがいると思います。IQの遺伝は70%ほどって言われていますが、ギフテッドも遺伝します。

よって私の周りにいる数人のギフテッドさんたちは賢い家系の人がすごく多いです。かくいう私は祖父にばかみたいに賢いギフテッドがいるぐらいです。

我が父はギフテッド・・・・・・? かよくわかりません。おしゃべりが下手な人ですから、話してもよくわからないんですよね、当人もそういったことに興味がないといいますか・・・・・・。ただ、会社では重宝された会社員でした。マーケティング理論に特化しているらしく、実践的使いこなし結果をだしていました。芸術肌でもあり、木彫りとかうまいです。笑

さて、そんなよくわからないなか私が生まれたわけですが、姉はギフテッドではないようです。私のように変人ではありませんし、私に「オタク」だの「きもちわるい」だの言っている時点でギフテッドはないと思いたいです。なんでこんなに人の気持ちがわからないのか、わかりませんでした。私のことが嫌いなんだと思っていました。しいていえば、姉はストレス発散のはけ口に弱いものをいじめていただけかなと今ならばわかります。

ギフテッドにとって家庭も学校も居場所がないのは苦痛かと思います。

遺伝子的には申し分はないのですが、私の場合、まったく環境が整っていませんでした。

ギフテッドの親は自分の子供に細心の注意を払うものです。どうするべきなのかを考えると思います。また心の機微に気づくものですが、普通の人にギフテッドの心の複雑さは理解ができないようですね、ムリです、できませんね。私も自分よりも知能が高いギフテッドを育てられるかといえば、無理でしょう。

私は『母の思うような私』でした。母の思うような心を持ち、母の思うような反応をしなくてはなりません。結構これはしんどかったです。これを間違えると叱られますからね。

私は『芸を仕込まれたペット』でした、『家畜』ではないだけマシかもしれません。ギフテッドは芸を仕込むことよりも躾けることが重要です。しかし、私は芸を仕込まれ、躾けられてはいませんでした。

物事の道理もわからない私はどう生きたらいいかもわからない。生き方がわからない私は、あるべき教養たるものがありませんでした。生きることがすごく困難な状態だったと思います。そのことに気づいたとき、ハリボテの精神は崩壊。そのままダメになりました。これが青年期でした。

ギフテッドは生きていくために『芸を仕込まれた』状態では生きていけません。逆にそれは息苦しいです。個々に持ち得たアイデンティティたるものがある人に『こういう考え方にしなさい』と教え込み、それを実行させ続けることは、自我を作り出すことを阻害させ別人格を生みだします。これが人格の解離に繋がっていきます。生真面目ですから、それに抗うこともせず従ってしまいます。愛されたいですから、怒られたくないですし。

個性とは『人よりも秀でたものを持つ性(さが)』です、性格などではありません。その個性を謳われる世の中では重宝されつつある存在ですが、逆にその個性を持った人のほうが少ないです。

『道理を気にしているギフテッド』と『道理が気にならない普通の人』は大きな隔たりがあるのではないでしょうか。

もともとギフテッドは道理や真理を教えてもらうわけではありません、気づいていきます。『教えてもらう』ことは正しさを与えられ、それでいいと思っている人たちです。ギフテッドは違います。それではいけないんです。

この世は人口率の高い普通の人用に出来ています。ギフテッドには、また違う形の教育方法が必要なんだと思います。

やはり私も学生時代に直面していた問題ですし、多くの隠れギフテッドも苦しんでいる要因のひとつだと思います。

それでも生き続けていれば出会うものです。同じように息苦しい時代を超えたギフテッドに――。

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はじめて出会うギフテッド

二十二歳になると、はじめて自分と同じギフテッドに出会いました。

私が呼ぶ『先生』です。8歳ほど年上です。この世の成り立ちから宗教観(宗教学)。概念について議論をしたり、歴史の調べた結果などを教えてくれました。

『神とはなにか』『戦争とはなにか』『愛とはなにか』

ぶっちゃけ、普通の人ってこういうことがどうでもいいことだと思います。でも、多くのギフテッドはこのテーマについてよく考えているのではないかなと思います。

先生は私に先生の思う概念について教えてくれていました。先生の知っていることをいっぱい教えてもらえました。この世はこんなに面白いものなのだと初めて知りました。こんなにも素晴らしい知識にあふれ、疑問がたくさんある。それだけで幸せになれました。

知識というものが奥深く、正しいだけではなく間違いもあり、個々によって見解が違うこと。そのひとつひとつを先生は『好み』と『正義』を区別して話してくれていました。

事実はこうだけど、僕はそうは思わない。そんな話が面白くて楽しくてたまらない。私は先生が大好きになりました。そして、先生は私を傷つけませんでした。先生も繊細な人ですから、先生は私を傷つけません。

先生の話はすごくおもしろかったです。思慮深い先生のはずなのに、私のしでかしに怒鳴りつけ叱ることもありましたが、それが愛情だとわかります。先生は先生で思うところがあり、見えているものがある。その時、それがわからなくても月日が経てばわかることがありました。先生は私が失敗することに先生自身が傷ついていたことにも気づきました。

信頼関係を誰かと構築することが初めてできた瞬間だと思います。

人は『自分の思い通りにいかないから怒る』ものですが、『その人の人生が悪いほうへいくことを怒る』人はあまりいません。先生は後者の人でした。それが分かれば充分でした。

道徳精神をしっかり持つことは最も重要なことでした。バカでもいい、賢けりゃ申し分はないが、バカでもいいんです。素直であり、ちゃんと正しいと思ったほうへ進むことができ、ごめんなさいとありがとうが言えればそれでいい。そんな躾をされていました。

バカなら勉強すればいい、自信が持てないなら持てる努力をすること。それからちゃんと考えること。先生から多くのことを学びました。二十歳すぎて私は高校生みたいな感じだったんです。生き方さえまともにわからずに浮遊している感覚がなくなり、ようやく地に足をつけることが出来ました。

深いところにまで足を突っ込んでも「わからない」へ着地することはありません。絶対的に先生は答えを持っていました。その安心感はとてつもない気持ちの安定につながりました。

これは私が人生で初めて得た安心感です。

意志の疎通がちゃんとできるんです。私の興味をそそり、私の勉強意欲を誘いました。人生が初めて楽しいものだと実感できたこと。先生に頭があがりません。

私は『他者に合わせて自分を作る』ことに長けていました。いわゆる『自我』たる『自己』がほとんどない状態でした。(おかげでメンタルへろへろでした。)

その状態から、先生になつきまくり共依存をさせ(先生はそれを理解して共依存させてくれていました、そんぐらい賢いです)ました。いわば父親みたいなものでした。

自我を形成するのに必要な自己同一化の対象、いわば自我のモデルケースとして先生を取り入れることに成功させたのです。よって私は先生によく似ています。私の好きなことは先生が好きなことだったり(後から判明したりします)、私の精神の保ち方も先生ににているし、先生の背中を追いかけているなあっていうのがよくわかります。先生はそれに気づくたびに微笑まし気にしています。

私自身はギフテッドとしてそこまで有能ではありませんが、人生に困ることは少ない気がします。先生と出会えたことは、私は運がよかったんだって思います。

自分らしく生きたかったから、死にたかった

洞窟のなかをさまよっているようで、ふらふらと歩いていました。世の中の人はどうしてそんな風に笑っていられるのか、よくわかりませんでした。

どうして私を罵ってストレス発散をしている姉が笑っているのか、嘲笑われた私は笑えなくなっていました。救いを求めた病院で薬を与えられましたが、頭が回らなくなればなるほど、不安は増していきました。

この世は狂気に満ちていると思っていました。

死にたかっただなんて、人がきいたら「え?」と思うかもしれませんが、存在意義がまったくわかりませんでした。根本的にある両親に対する不信感が募りすぎていて、私の精神状態は最悪な状態だったと思います。

そんな状態でほおり投げられた社会で生きていくには混乱の連続でした。

人が普通にやっていることのひとつひとつの理屈がよくわからず、混乱。タイミングを計ろうとするけど、それがよくわからない。わからないことの連続は頭を悩ませ、私の心を深く傷つけていました。

人の言葉のひとつひとつが刺さり、心が保てませんでした。ふと溢れそうになる涙も呑んで過ごしていました。

死にたかった。生きていく理由なんてひとつもありませんでした。自分がこの世の歯車のひとつなんていうイメージなんて湧かなかったし、人のためになっているとも思えなかった。自分のためになぜ生きなければならないのか? だったらさっさと死んだほうがいい。だってそうでしょう? 自分のために世の中の人たちは生きているみたいだけど、私はどうがんばっても自分のためを見つけることが出来ない。私なんかはお荷物だと思っていました。

お買い物もつまらなかったし、自分を着飾ることにも興味がわかず。お金を消費することでみんなは満足そうだけど、私は全く不満足。つまらないことの連続でもありました。

周囲と自分が違うことに、少なからずとも気づきながらも、普通の人が何者なのかがわからなかった(ひとと深くかかわれなかった)ので、比較して『自己の追求』さえできませんでした。

どうやって考えをまとめるべきなのか、どうやって生きていくべきなのか。私が生きるために必要なモデルケースはどこにもありませんでした。ただ、浮遊している宇宙のゴミみたいな認識でした。

けっきょく、前述している先生に出会い、ようやく『どうやって生きるべきか』の指針が出来ました。

ギフテッドの持つ深い情緒は、うつ状態を常に横に据えて生きているようなものです。

やってくる絶望と不安と恐怖は人の二倍以上です。それに苦しめられながら生きていくことは死んだほうがマシだと思います。それでも、それを上手に使いこなすことが出来れば、自分のオリジナリティを持った情緒をうまく扱うことが出来るようになったのは、そういえば、知識をたんまりこさえた後でしょうか?

精神医学、がっつり読みました。宗教学、がっつり嗜みました。

時に自分の持つトラウマと向き合うべく、心理学を学び、どう処理するかを考えました。

自分が変わっていくことは楽しかったです。『自分がどういう形をしているか』を知ることは本当に幸せでした。

知識の追求は自己の追求のひとつでした。でも、これは人に与えてもらってできたことではないと思います。先生に出会って触発されることが大事で、それから自分で考えて、自分でなんとか処理しようとする経過が楽しかったんです。

その後、自分のケツが自分で拭けるようになった瞬間、なんだかつまんないな・・・・・・と思いました。

問題がある、困難があること。それは私にとって最高のご褒美だったようです。

今もまだ死にたいですけどね。さっさとこの世の喧騒から逃れてあの世で静かに眠りたいです。疲れました。勉強し続けることも、頭がずっと回っていることも、創造性に振り回されることも、普通の人のように生きられないことも。本当に苦痛ですし、しんどいです。

今生きている理由は最終的には死ぬことになるので、わざわざ死を選ぶ必要性がないっていうだけです。

感じていた人生の年齢と精神の年齢

二十歳の頃、私は自分が高校生のような気分でした。精神的に高校生なんです。自分の感情に始末がつけられないことに恥ずかしさがありました。

それからいくばか勉強をし、二十五歳の頃には大学生のような気分になりました。勉強をし、知識がこさえられ、自身の精神性を知識よって支えているようなものが増え始めていました。

そのころから、まったく違う分野の知識にも連結されるものがあることでした。その連結に気づくたび、私は喜んでいました(絶望も同時にやってきますが)。

私の先生は二十歳過ぎたころにはまったく違う分野の知識の連結が出来ていたと言っていました。たぶん、私が高校生のころから薬を飲んでいたので、知能が一般人レベルで動いていたことにより成長が遅れているとも考えられます。お勉強も出来ませんでしたし。

いわゆる閃きが生まれるようになったのは知識があってこそでした。たぶん、ギフテッドの多くはこのひらめきを持っているのではないでしょうか? でも歳を重ねて知識や経験がないとダメな気もします。

大学生のような気分の時、私は『教養が欲しい』と常に言っていました。教養とはなにか? ですが、生きるためにどうするべきか? の問いかけであったり、どのように行動するか、どのように感じるか。そこに深みはあるのか。みたいな感じでしょうかね。

『『教養』とはなにか?』という新書には『いかに生きるかの問いかけ』とトーマス・マンのドイツの教養小説『トニオ・クレエゲル』を題材にして説明してくれていました。

そろそろ大学四年生ぐらいで論文ぐらいかけるぞ!みたいな気分にようやく二十八歳でなりました。「そろそろ社会にでて仕事ができるころだ」という気持ちになりながら「運気の切り替わり感があって、ちょっと未来が怖いし不安」という感覚になっていました。案の定、あのときが岐路だったのだと今ならばわかります。

どうしても『社会に出て働いている自分』のビジョンは全くわかない。正直、社会で二十五歳まで出て働いていたけど、仕事しすぎたり、人間関係に過剰に疲れて疲労困憊だった過去を思うと全く乗り気がしませんでした。

けっきょく、今、大学院生気分です。笑

大学時代に浅く広く学んだことをもとに深く学んでやってみよう! って気分です。専門性を増させて、自分のオリジナリティを持った世界を生み出してみよう。創造性を使ってなにかを作ってみようと思いました。

ありがたいことに、今までの経験も知識も役に立っています。同時に自身がすんげえバカなんだっていう感覚が湧き上がってきます。

今、三十路に乗っかって、ようやく『自分の人生』を持てている気がします。ギフテッドの精神頓挫があったタイプは特にそうなのかもしれません、遅れますね。

しかし、学問をするのに本さえあればいいっていうスペックはありがたいものです。図書館があれば済まされます。学校にいくことが難しいのであれば、図書館で本を読めばいいです。勉強らしい勉強をしなくても頭に知識は蓄積してくれますから、それなりに読むだけで済まされるものもあります。

ギフテッドとして高機能ではありませんが、ちょっとのことぐらいならば、これで済ませられますからありがたいことです。

二十五歳までは社会に属して頑張ってみるのも経験として重要でした。でも、向いていないって思うならば、さっさと見切りをつけるべきです。向いていないことがあるっていうことは向いていることもありますから。その向いていることが何か、ギフテッドは気づいているはずです。というか、過去一度もなにかに熱中しなかったギフテッドはいないと思います。

なにかをコレクションしているはずだし、なにかを創造しているはずです。

社会に属することもひとつの才能だと思います。私にはとても難しいし、息苦しいですから。でも、社会に属することが出来る人は創造することは苦手なはずです。

『できることをすればいい』んだと思います。もし、創造することが出来る、何かに熱中できるのであれば、なにかを作ることが出来るのであれば、それをしたらいい気がします。極めたらいいんです。

思い返せば、学校なんて行かなくてよかったかもしれません。無理してキリキリして自殺未遂まで起こすまで自分を追い詰めることはなかったと思います。命に代えられるものはないです。

勉強が出来ないことがすごくコンプレックスだったから強迫的に自分に勉強を課すこともありますが、それも悪くありません。ありがたいことにそれは個性に昇華させることが出来ます。

後ろ指差されたって生きてりゃいいんです。ここまで達観して自分の好きなことをしたらいいと思うのがギフテッドである私の過去の人生を振り返って感じたことでした。

代わりと言っちゃなんですが、絶対的にギフテッドは普通よりも秀でているンだから『人のために』を忘れなきゃいいと思います。

自分のしていることがどこかで人のためになっていたなら、本当に『ギフト』なれますね。

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漢方堂の先生が大喜びしたギフテッド

中医学を基礎にした漢方堂に通っています。基本的にストレスゲージが高いので、気滞はデフォで仕方がないと先生は言っていました。

一応、東洋思想は頭のなかに入ってますし、メカニズムも理解しています。それがキッカケで「これはすごい技術だな」と思い、漢方を頼ることになりました。

その話をした先生はすごく驚いていました。先生は「中国で人体実験をすごい量やった結果の技術だからね」と誇らしげにしていました。

最初、漢方にかかるにあたって、初診のとき「こういう生活にしてくれ」と言われたことを常に実行して、その成果や天気、体調等を一覧にして次の診察のときに渡したところ、驚かれました。

いわゆる分析の基礎になるものでしたら、先生にも必要だろうなと思い書きだしたものだったのですが、普通はそんなことしないんだそうです。それに運動など継続することが難しいこともちゃんとやっている。そういった点で「この子はなんなんだろう?」というのが先生の第一印象だったようです。

その先生は私に『IQが高い』と教えてくれた先生で、どうやってギフテッドとして生きていくかのコツを教えてくれています。

いつも『ストレスゲージが溜まりやすいから、免疫には気を付けて。』と言っています。

そんな先生は、私が『夢日記つけていて、それを分析している』ということに興味津々。先生から電話がくると『夢日記はつけていますか』、予約をいれると『夢日記持ってきてください』と言います。新年のあいさつの後は『初夢はどうでしたか』と聞きますが、面白いんですかね・・・・・・これ?

私の分析の話を真剣に聞いてくれます。しかし、私の言っていることの理屈がわからないこともあると言っていました。結論は医学的に当たっているけど、それが理解できた経緯がよくわからない――とのことです。どうしてそれとこれが繋がったのかわからないみたいな感じです。

うつ病になったら先生が喜んだ

愛犬が死にまして、死にゆく瞬間を見ていました。においとか感覚とか、死んでいく様が頭に沁みつきやすいギフテッドは多いです。いわゆる人よりも観察能力が高いが故に、脳みそに情景がこびりついてしまうんだそうです。

子供の脳みそと同じようなものだと言われました。

記憶力が高いということは、同時にトラウマを抱えやすいです。そうです、愛犬が死んだショックではなく、愛犬が死ぬ様子にショックを受けてトラウマを抱えた私は、後々うつ病になりました。脳が破損するに至ってしまったんです。死ぬ瞬間を見たショックで。・・・・・・愛犬が死んでいなくなってしまったことに関しては悲しかったですけど、そこまで引きずりませんでした。

ときおり先だった祖父母と一緒に愛犬が夢に出てきます。あ、ちゃんとあっちに行けたんだなっていうことがわかって安心しました。死んでも一緒、どっかで一緒ですからそれでいいんです。

うつ病の状態は『普通の人』の感覚になる状態だったと思います。自分で決めることが出来なかったり、人の意見に左右されやすかったり、説明文的な内容の読解が難しい日々が続きましたが、普通に生きていました。とても普通の人でした。あ、これが普通の人の回転率かあ・・・・・・みたいな気分でした。やっぱり脳の回転率が遅くなっているのは気になりました。

読みなれた小説は読めました。うつ病状態の経緯は省きますが、その経緯を綿密に記憶していたので、その話を漢方を買いに出かけたとき伝えたところ、先生はいいました。

「芥川龍之介よりも知能が高い」

と。うつ病になっているときに会ったときの先生に『こんなことがあり、こうなっていて、これはこういうことだと思う』とうつ病の自己分析をしていました。そのことを聞き、先生は喜々として『うつ病になって自殺した芥川龍之介』を引き合いに出したんです。

うつ病のとき、自己分析ができる人って少ないのだそうです。ギフテッドならではの能力なのかもしれません? が少し知能が足りれば、これはできるんじゃないかな・・・・・・と思います。

うつ病がなおると、先生にうつ病の期間のことを聞かれました。なにがあった、どういうことだったのか等つらつらと説明したところ、先生は『普通はうつ病の期間は忘れちゃいます』と言ってすごくうれしそうでした。

記憶力が良すぎるんです。詳細に記憶が出来、うつ病の期間に記憶力が低下しているにも関わらず、一般的な記憶力が保持できてしまうんです。

私と同時期にうつ病になった人を見つけ「なんでこの人うつになったんだろ?」と思い、観察していたところ、結論に『うつ病って自らなることができるのではないだろうか?』ということが導き出されました。そんな話を先生にしたところ、またまた喜んでいました。身に着けた知識ではなく、観察し、結論を導き出す能力の高さがすごい! ということでした。

それから三か月ほどで私の脳みそはうつ病から復帰しました。薬の投与はなく、漢方薬で補填しつつ栄養学で処理しました。(その経緯についても笑っていました。病気に対してそんな風な態度をとるのか、と。治す意志が強いのだそうです。)

先生は『あなたはうつにはならない』ともいい『ボケない』とも言いました。先生の専門的な部分での理論はわかりませんが、私はうつ病をしのぐほどの自己分析能力があるようです。また、ボケないほどの脳の活発さがあるのでしょう。

診察の最後に「先生、なんでうつ病になると人は死にたくなるんでしょうか?」と聞いたところ、先生は「自分で考えてみてください。私は答えを知っていますが、たぶん、考えればわかりますよ。」と言われました。

頭のポケットの中に入れておいて、ティーンの脳みそはどうなっているのかっていう本を読んでいたら、急に閃いて答えが分かりました。答えを告げましたら、やはり先生は嬉しそうでした。

客観視しますと自慢話のように見えますが、これが私の脳のデフォルトです。ちなみに愛犬が死んだあとは夢見があれました。精神的に大きな影響が及ぼされていたと思います。表面化しなくても大打撃だったということです。

先生に教えてもらったこと

そんな先生にギフテッドとして心がけることをいくつか教えてもらいました。

  1. 社会にでて働くことはあきらめること
  2. 具合が悪いときは人と関わらないこと
  3. 人と話すときは無になること
  4. 対等の知脳のギフテッドを探すこと

以下、詳細でご説明します。

社会にでて働くにはリスクが伴う可能性

1.社会にでて働くのは無理だろう、というのが先生の見解のひとつでした。私の個性からみてそう結論つけたのだと思います。社会に酷使されてギフテッドが自殺に至るケースも結構あるようです。そういう意味で私は『学歴が逆になくてよかった』ようです。

具合が悪いときは鎖国すること

2.具合が悪いときは人と話してはいけない、鎖国するっていうこと。普段ならばスルーできていることがスルーできなくなって脳が活発化して暴走気味になります。普通の人は外的要因により脳を動かしますが、私の場合、内的要因により脳を動かすことができます。同時にふたつが重なると具合が余計に悪化しちゃいます。私生活の会話のなかでフルに気を遣って会話するのがデフォです。ギフテッドの気を遣っていない状態の会話って普通の人からすれば『異常』かもしれません。それによく怒られたりもしますから、気を遣えるほどの気力がないときは本当にやめたほうがいいです。負のスパイラルです。

人と話すときは無になること

3.人と話すときは無になること。すごく失礼かもしれませんが、普通の人と脳の回路の速度が全く違います。人に「なんで?」と聞かれるだけで負担になっています。相手に説明をすることもできますが、ギフテッド側は『少し考えればわかること(ギフテッド的には)』は省きます。その省かれた内容を聞かれることは会話の相手が担うべき負担をギフテッド側が背負っている状態になっていきます。これは疲れます。

専門的な話をされると『理解する』ほうへ脳が動きますからとても楽しいのですが、普通の人は専門的な理解しなくてはならない話はしません。そうするとギフテッドは脳がヒマになります。ヒマになるとあれやこれやと色々考え始めます。しかし、普通の人は論理性を持って喋っているわけではありませんから、ギフテッドは混乱し始めます。

そもそも意味がないことにも意味を持たせようとするギフテッドにとって『一般的な会話』って結構きついものがあるんです。ですから無になる努力をしたほうがいいとのことでした。

愚痴を聞き続けることもギフテッドには負担です。その根本にある愚痴の意味をしっているギフテッドには不快でしかないこともあります。でも、普通の人がそうやってコミュニケーションをとっていることもわかりますし、ギフテッドにも愚痴はあります。しかしそれが何度も何度も積み重なっていくと、フラストレーションがたまります。

たとえば、人と会って話をした後、すごく疲れた・・・・・・と寝込むことがあります。それを回避するために無になることが大事です。普通の知能の人と話をするだけで三日ぐらい寝込みますから、おでかけには注意が必要なんです。

対等な知能のギフテッドを探すこと

4.対等の知能があるギフテッド同士を探すこと。実は出会いました。その人とは三十歳も年が離れた同性の人です。お子さんがハイスペックで国家公務員です。話をしていて、ツーカーになりやすく「わかってもらえた実感」が得られ、会話に満足感が得られます。そして安心感が芽生え、やる気になります。普通の人と話をするとやる気がなくなります、実は。自分がおかしいんじゃないか? とかそういうことを感じたり、どこまで話していいのかなどを酌量するのが常日頃です。しかし、対等の知能があるギフテッドはそんなことをする必要性がありません。

話していてめちゃくちゃ楽しいです。ちなみに私の先生は、私よりもいくばか知能が高いので、それはそれで普通の人よりも会話は成り立ちますが、逆に先生が疲れている可能性もあります。笑

しかし、普通の人と会話するよりもマシです、それはそれで楽しいですが、同じ回転率ほどの相手は意味が分からないほど楽しいです。自分の話をしてもいい、自分の思うことを言ってもいい。暖簾に腕押しにならないこと、打てば響く感覚が凄く爽快です。

もっと勉強しよう、もっと追及しようと会話した後に思います。

ギフテッドは一般的な人たちに満足感が得られないからこそ、孤独感を感じています。それは私にもあって、同じ知能があるギフテッドの人に出会えた時、私は泣きました。

ちなみになぜわかったのか? というと直観でした。話している内容や会話のペース、事の運び方、聞いたことへのレスポンスの仕方等を聞いて「あれ? おばちゃん、夢の記憶は得意?」と聞いたところ「できるよ。」という返答いただけました。

普段は普通の人と同じようにふるまうようにしているとその方も言っていました。よって判別が不可能な状態でしたが、ギフテッドには同じ匂いが感じられるのかもしれません?

今では一か月に一回ほど家を行き来するようになり、お話をする年の離れたお茶のみ友達となりました。お互い文学好きなのもあり、それなりに繋がる会話がありますが、世間話なども普通の人とする世間話とは一味違い話しやすいです。

分かり合える人って大事なんだなって思いました。そして、ギフテッドは余計にそれを望んでいるんではないだろうか――、感受性が豊かだからこそなのかもしれません。

『ギフト』は『天から授けられたもの』ですか?

悲しみを併せ持つ贈り物にあなたは感謝しているだろうか、できるだろうか?

もし私が普通の知能だったならば? そんなこと想像したって無駄なことはわかっている。それでも考えてしまう。

おかしなものですね。私たちは多く与えられているはずなのに、その与えられたものを使いこなすために心を鍛えなければならない。魔法の杖を使いこなすことができない私は、自分の脳みそを管理できずに能力に振り回されてしまいやすいです。

人の二倍三倍の努力と絶望を知って、ギフテッドはようやく完成するのかもしれません。その経緯が少なくとも幸せとは言えません。いえないです。

それでも、幸せだと思わなくちゃいけないんですよね。多く与えられたことに感謝しなくてはならない。でもそんなことよりも、目先の発見と解決にいそしみ、ひとつでも多くの文献を読み、世にドラマを送り届けなくてはなりませぬ。

ギフトを本当のギフトにできるように、才能を持った人は努力をしなくてはなりません。・・・・・・

2019/12/28IQ ギフテッド

Posted by sanro