ペットロスになって愛犬の姿が脳裏から消えてしまった私。

その日、私は夜遅くまで珍しく仕事をしていた。11時には布団に入るはずが、11時に友人からの電話、1時には仕事のことで連絡。結局、布団に入って安心できたのは2時半になっていたとき。
トイレにいってから寝よう・・・・・・、そう思って部屋のドアを開けたら、廊下の空気はひんやりとしていた。なんだ、涼しいじゃん。最近は昼の真夏の暑さと夜がふけると冷える繰り返し、2時半にもなれば、外の空気はクーラーをつけた部屋よりも涼しくなっていた。
トイレから戻って、クーラーを消す、それから窓を全開に明ける。窓からはひんやりした空気が入り込んで、通り過ぎようとする風はドアをゆっくりと開けて出ていこうとする。
私は窓の外の空気を少し吸ったとき、ハッとして振り向いた。誰かいる、でも、誰もいない。同時に、うちの愛犬は――頭をよぎった。
愛犬は、母と寝ている。大丈夫、死ぬときは教えてくれる。愛犬は2週間半前から床に臥せていることが気が気でならなかった。もう2時半、明日がある、寝なくちゃ。布団をかぶって、さっきの「誰か」は誰だったんだろうって考えた。
せんせい?しにがみっているんですか?
目を瞑ってから、その誰かが真っ黒い服を着ていて、この世の人ではなくて、そしてちょっとだけ怖い人だと私は思った。でも、誰なのかを私は知らないと思った。
5分もたたないうちに、階段の明かりがつく音がした、母だ。それから階段を登ってくる音。愛犬に何かがあったんだ。私は眠りかけていた体を起こし、廊下へ出た。
「〇〇ちゃんが。」
と母の声。母は父に声をかけ、愛犬を三人で囲った。
荒い息ももうしていない愛犬の体は、たった一週間の絶食で随分やせてしまっている。身体を触ると骨がよくわかるけど、毛がふわふわしていてやせてるみたいに見えないね、って少しだけ笑った。
それから愛犬は、呼吸を大きくした。カガクコキュウと母はいった。下顎呼吸を二回した愛犬は、ヒュッと息を吸ってお腹で息をするのをやめた。次に、心臓が止まった。目を開いたまま、私たちの手に撫でられながら、愛犬は死んだ。
少しだけ私たちは泣いた。父が泣いているのを私は初めてみたんだ。
それから愛犬を私たちは、お湯とタオルとブラシできれいにした。最後の最後まで私たちにブラッシングをさせてくれなかったから、結局ブラシは今回使ったのが久しぶり。
可愛くしようね、って口ひげと手足をきれいにブラッシングしてふわふわにした。
オムツをとってお尻をきれいに拭いてあげた。
すべてが終わったときには4時、父は会社へ早朝出勤していった。私は、9時に火葬場の電話をいれてほしいと母に頼まれ寝た。眠れないかと思ったけど、寝てしまっていた。
9時に起こされたあと、電話を入れた私は、母と一緒にドライアイスを買って愛犬を冷やした。おなかとせなかとひんやりして愛犬の体温は失われた。もう虫がたかってきていた。自然の摂理が憎いと初めて思った。
そのあと母と二人で思い出話をしながら泣き笑いしたあと、私はぼーっとしていた。気づいたら、夜になっていた。
ご飯もしっかり食べていたし、食卓での受け答えもしっかしていたと思う。
それからしばらくして、私は愛犬の記憶が脳の中から消えてしまった。
愛犬の記憶が消えちゃった。
ちょっと前から、愛犬がもうすぐ死にそうってことは解っていたから、ちゃんとみんなで最後はしっかりお世話をしようね、って相談。愛犬をどこの火葬場につれていく?骨はどうしよう?愛犬の持ち物はどうしようか?と愛犬がいなくなる1週間前には愛犬の最後のすべてが決まっていた。
愛犬は、私たちのもとに亡骸を2日間預けた後、燃えて塵になって空気のワンちゃんになった。
形のない愛犬が残したものは骨。しっかりした骨。年の割にしっかりしていて、いいもん食ってたんだな!って悪態をついた私。
愛犬は神道だから!と勝手に決めつけていた私は、火葬場の帰りに神社によって、それから、地元の神社にも愛犬をよろしくと頼んだ。
きっと私たち、ペットロスになっちゃうなんて笑ってたけど、一緒に寝ていた母よりも、毎日散歩していた父よりも、私が一番悲しみに埋もれてしまっていたみたい、そのことに気づいたのは一週間後。
愛犬のいない家で過ごして1週間後、フラッシュバックを起こして過呼吸になりかけた私。
頭の中が働いていないこともわかっていた、真っ白の空間の中、私はちんまりと座っている。でも、仕事はしっかりしていたし、ちゃんとできていたと思う、思ったより打撃がなかったなって思ってた。突然のパニック障害の症状に私はびっくりした。
きっと、みんな、喪失感から頭が働いてなくて、真っ白の空間にいるんだ、私はそう思っていた。
病院の先生にそんな話をしたら、
「離人が起きてるね。」
といった。ときおりあるんだよ、と。
それから、私が愛犬の思い出を思い出せないことに先生は気づいたらしい。私はそんなことにすら気づいていなかったのだけれど。
私は重症のペットロス。
ペットロスの重症状態。
愛犬がいなくなったショックで愛犬のことを思い出せないでいる状態。
悲しみすぎてしまった私は、心が止まって、脳が止まって、愛犬のことを考えられないようにしているらしい。素晴らしい人間の防衛本能だ。
私は今、愛犬をふと思い出すこともない。だから、悲しくならない。愛犬がいなくなってしまったことを理解だけしている。
リビングにいる愛犬の写真はにっこりとほほ笑んでいるから、可愛いな、そう思ってほほが緩む。でも、思い出はなにひとつ思い出せないでいる。
ときおり母が愛犬の思い出話を始めると私の涙が止まらなくなる、でも頭の中に愛犬が思い浮かべることができない。それの繰り返し。
愛犬を抱けなくなって、早2週間。
私の脳みそから愛犬は消えてしまった、写真の中で笑ってる愛犬しかわからない。
でも、私にとってすごく愛しい存在だったことだけ覚えているんだ。
今、さびしくもないし、悲しくもない。つらくもない。だって、思い出さないから。
毎日、朝が来れば起きて、頭の中が真っ白だなーと思いながらご飯を食べる。それから仕事をして、気づけば夜になっている生活。
そんな毎日がまだしばらく続くらしい。
心が叫んでいるのを私は知っている、でも、私はそれを無視して気づかないことにしたんだ。忘れることにしたんだ。なかったことにしたんだ。
わかっているんだ、忘れてしまうことは悲しいことだって。でも、私は受け止めきれないから本能が蓋をしてしまったんだ。
結局私はどうなるのか。
時間だけが自分を助けてくれる。薬でもない、新しいワンちゃんでもない、家族でもない、時間だけが私を救ってくれる。
なるべく運動をして動くことで緩和されるから、運動をしてと先生はいう。
こんなにも失うことが私を揺さぶってしまうなんて知らなかった。
・・・・・・早く思い出したいと思うけど、まあ、それもおいおい思い出すでしょうと気楽に構えて過ごします。
全国のペットロスの皆さま、頑張りましょう。